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マリー・ニューヨークへ行った


初めてNYに降り立ったのはケネデイエアポート、夢だけ詰めたカバンひとつ。
迎えの人に会い、バスに乗りマンハッタンへと向かう
古いビルが立ち並び、光景がどんどん変わってゆく、不安もどんどん増してゆく・・
バスを降りた瞬間、ホコリくさい、乾いた街・・という印象だった。
これがNYか・・と空を見上げ“よし、いくぞ”と気合をいれたのを覚えている。
最初は会社が用意したマンハッタンの安アパート家具付き、1週間ごと、家賃を払うシステム。1ヶ月間は会社負担だったので家賃は覚えていないが住んでわかった事は、ここは売春などに使われる危ないアパートで毎週、殺人、泥棒、わめき声・・最悪!
アパートでは命を守りながらの生活、夜はクラブで歌う毎日が始まった、予想通り、ついにマリーにも事件がふりかかった。店は2時に終わりバンドの人が必ず送ってくれる。この時間に女が歩いているのはコールガール悪い言葉でホール(穴)と呼ばれる人種だけ・・この頃のNYは、まだ危険だった、いきなりパトカーが逆走してきた、先に走っている黒人男が撃たれた、その横を歩いていたのだから何が起きたかわからないまま伏せた・・死ぬかとおもったよ・・
毎日、刺激の連続で1ヶ月後には相当慣れた。ギャラも貰ってゴキゲンなラジカセを買いガンガン鳴らしていた。仕事が終わりいつものように部屋に向かった・・ドアがない・??
すぐ部屋の中・・ベッドはさかさま、メチャクチャになってラジカセが消えていた・・
ポリスに通報、一応すぐ行くと言ったその後10回はかけたが来ないよ!この安アパートはポリスも相手にしないと言うことか・・アルバイト管理人の黒系大学生がなんとかドアを直そうとしたが、ムリ、結局この日は朝までバンドメンバーがいてくれた。悔しくて悲しくて、どうしようもない。この日、涙と共に多くのことを学びNYで女一人暮らすには生きては帰れないかも?と思い覚悟を決めた!生きて帰るぞと!戦士のように!次の日、ドアも直されバイト大学生が犯人はわかっている、あいつの部屋からマリーのラジカセがガンガン鳴っているから出かけたら取り返してくれると。約束通り仕事から帰宅したら部屋に戻っていた。御礼に店で作ってきた、おにぎりを渡し大変、喜ばれた♪NYは日本と違う!特に安アパートは危険、ポリスはあてにしないことにし、友達が大事!その後、新しい住まいを見つけた、ジャクソンハイツというメキシカンが多く住むマンハッタンまで地下鉄で3~4つ目だった。12畳くらいの1ルーム、スチュウデイオ(STUDIO)と呼ぶ。今では安全な街のようですが、あの頃は危険だった最初が凄かったから、まだ、ここのほうがよかった。
ドアにロックスミスの鍵、5個つけウインドウガードもつけ多分、刑務所もこんな感じかな?という光景で(入った事はありません誤解のないように)いつもプエルトリカン、スパニッシュに思われ、案外ここではフツウに生活できた。よく同郷?から声をかけられたプエルトリカンの友人やら近所のおばさんとか仲良しになり
お陰でケパサ~!ナダ~♪など日常語になったよ~ahaha 窓辺にリスが来て見下ろすと広場で白黒抹茶の子供達が遊び、やっと人間らしい落ち着きを持てた。
大きな古い安アパートメントだった3階に住み、隣にインド人家族が住みこのフロアーは年中カレーの匂いが充満していた。時々、くれる料理は、やっぱりカレー味が多かった、おいしかったり・・そうでもなかったり、いい人だった。この頃から無料のレッスン場で昼間はダンス、英語、歌、など通っていた。アーテイストの為の無料の教室は多くリッチと無縁の若い人はそこにいくのがフツウ、友人が見つけたとこは単純に、その先生のレッスンの時間前ドアの前で並んでいればいい。こんな事をしながら自分は何がしたい、どんなレッスンがいいとか知恵がついて自分に合う先生スクールを探す、こんなのは日本にないからNYは好き、やっぱり無料が良かったね~。リッチより若い時はギリギリの生活がいい、強く賢くなる!マリーは生きて日本に帰れるかどうかも、わからないような毎日だったから必死だった金もコネもない英語もよくわからない寂しく、ひとり、歌手を目指して生きていた!ギリギリで生きるために必要なのは“夢と勇気と度胸と知恵”夢の途中で死ぬなら本望だと自分に言い聞かせ、コックローチだけが同居人って感じで暮らしていた。それでも毎日、楽しかった。
歌っている店で知り合った色んな国籍のホステス達は学生が多く賢く美人でナイスバデイだった。多くの友人ができ、クリスマスの夜ハーレムの家に招待された。アパートはナンバーが書いてあるので探しやすい彼女はミルクチョコのような肌の色で、とても美人で優しかった。粉雪の中、チョコレートを抱え、たずねた。ドアが開いて50人くらいの黒い集団に迎えられ最初はオオッとしたけど優しくて、いい人達ばかり。親戚がみんな集まるパーテイ、楽しかった。彼女の妹が16歳で失恋したばかりだった・歌ってとIt’s too late をリクエストされカラオケはない時代アカペラで歌った・・・泣くのよね・・レコード聴いては泣く・・クリスマスなのにふられたといっては泣く・・・恋もしていなかった私も思いっきり抱き合って泣いた・・私の場合ホームシックと寂しかった。ブロードウェイにある、黒い太ったおじさんが一人でやっている小さな安い靴屋でセレブは絶対来ないと言える店。ここで、かっこいい黒い女の子と出会い”歌手なの、ライブに来ないか?”と誘われたので友人といった。会場へいくと100人位の客がいて小さな子供もいてゴスペルとか知らない歌ばかりだけど凄い盛り上がりで、小さい子もステージに乗せ一緒に踊りながら歌う5歳くらいの子がノリノリで歌う・・負けたぜ!NYではアチコチで毎日、音楽をやっている・・若者は貧しいほうがいい、同じ夢を持っている友人に出会い共感することが多い、アーテイストは夢と勇気だけあればなんでもできる!
自分を信じて生きるのだ!この頃は若かったけど、年齢は関係ないよ、死ぬまで夢は追うんだよ!
ガンガンいくのだ~AHAHAHA
by marieloumarie | 2010-06-01 09:04